週末、雨の太宰天満宮を訪ねてきました。
娘の担任の先生は、社会が専門とのことで、
市内の先生方が見に来られるほどの方だとか。
3年生の時も担任していただき、クラスの多くの子を社会科大好きにしてくれたのでした。
娘も社会が大好きで、6年生では歴史を学んでいることもあり、
社会の授業を楽しみにしているのだと想像します♪
そんな先生は、『脱線ムダ話』が多くあり、3年生の時も
そのムダ話で子どもたちの興味を高めてくれたのです。
先日の社会の授業で、菅原道真の一生の話になり、
授業を一時間延長して、じっくり話してくれたそうです。
その話に魅せられたさやは、その夜、私に熱心に話してくれるので、
じゃあ、その菅原道真公が眠る、太宰府天満宮に行って、実際に見て感じてみよう!
ということになったのでした。
ここは本殿の裏側です。
この門を開いた先に、菅原道真公が眠っているそうです。
定かではないけれども、だれもそこを掘ったことはないそうです。
すき間からのぞいてみると、そこには墓石のようなものがあり、
きっとその下なのだろうなあと見えました。
この牛さんが、道真公の亡骸を運んだ牛です。
その牛が途中で動かなくなった場所が、先の本殿裏のあの場所なんだとか。
道真公が遺言で牛の思うがままに行くところに葬ってほしいといったというのですから
信ぴょう性は高いようですね。
『菅公歴史館』にも足を運びました。
ここでは、道真公の一生が博多人形で表現されていて、
とても素晴らしかったです。
道真公の喜びや悲しみが手に取るように伝わってきました。
京を離れる際に詠んだ和歌
『東風(こち)吹かば 匂ひをこせよ
梅の花 主なしとて 春な忘れそ 』 の情景を見ながら、
さやが、百人一首の大宰府天満宮での大会に出場したときの序歌(試合出だしの歌のこと)
が、この歌だったことの謎がとけて満足そうでした。
ちなみに、百人一首にある道真公の和歌は、
『このたびは 幣も取りあへず 手向(たむけ)山
紅葉(もみぢ)の錦 神のまにまに 』 です。
この情景も、博多人形で素晴らしく表現されていました。
さやは、こちらも、非常に感動していた様子でした。
先生は、「太宰府天満宮は、梅ヶ枝餅を食べに行くとこではありませんよ~」と
おっしゃたそうですが、
道真公が、身に覚えのない罪で、大宰府で謹慎の身となった際、
食べ物を与えられない状況下で、ある人が梅の花に自分が焼いた餅をくっつけて
差し入れをしたということから『梅ヶ枝餅』と名付けられたことを知り、
道真公の厳しい生活の中での思いを娘と話しながら、
梅ヶ枝餅を美味しくいただきました(すみません 笑 )^^。
さやの詳しい~解説を聞きながらの大宰府散策。
楽しくも、心動かされた一日となりました。
Smile^^。