今日はちょっと長話です。
子どもが帰宅して親に今日一日の出来事を話すとき、子どもが話していることを分析したことありますか?
うちのさやは、私より早く帰宅しているので、
私が仕事から帰ってくると、「おかえり~。ママ~あのね~今日ね~・・・」と話しだします。
私が夕食の準備をしている間、食事中、食後の自由時間、お風呂上がりの前後、寝る寸前まで・・・。
だいたい、今日一日の出来事をず~~~~~っと話してくれてます。
内容は、友達とのやりとり(ケンカやウケたこと等)が一番多く、次いで授業での出来事、
クラブや委員会の活動報告などです。そんな中、意外とよく話すことが、人から聞いた『ムダばなし』です。
『ムダ』と表現すると、話してくださった方に失礼になるのですが、本来話していた内容から、
ちょっと脱線した、いわゆる『雑学』的な内容という意味です。
私は、娘の小学生生活を見ていて、『ムダばなし』の効果は絶大だと感じています。
娘のケースで言うと、話してくれるのは、学校の担任の先生、ピアノの先生、かるたの先生、
ボーイスカウトの指導者の方々・・・etc
社会人として、経験者として、知識人として、一人の人間(男・女)として・・・
『ムダばなし』の中から、先生の性格を読み取っていることもあります。
「○○先生って、こんなこと考えるなんて、意外よね~」などと言います^^。
または、‘その世界のプロ’が語る雑学の魅力でもあるように感じます。
先生が話す『ムダばなし』は、子どもの心にずんずん入り込むようです。
例えば最近で言うと、さやの担任の先生は英語に興味があるそうで、
アメリカの文化に関する本をよく読んでいるそうです。
あるとき、さやが、主人と私に
「日本人って、『自分がしてほしくないことは、他人にしないようにしましょう!』って教わるでしょう。
でも、アメリカ人は、『自分がしてほしいことを、他人しよう!って思うんだって。』
私は、アメリカ人の考え方の方がわかるな。」と。
3年生くらいまでは、先生のムダばなしを聞いて、『○○だって~』と教えてくれるだけでしたが、
4年生後半くらいからは、前述のように、『そのことについて私はこう感じた』という
自分の考えを付け加えるようになりました。
特に、3年生の時の担任の先生は、とっても楽しい先生で、授業中、
「え~、ここからはムダばなしですが・・・」といろんな話をしてくださっていたようです。
そこから目がキラキラ輝く子も多かったんじゃないかなあと想像します(さやもその一人^^。)
さらには、聞いた話をきっかけに、家族内でクリティカルシンキングすることも頻繁にあります。
(もちろん否定し合わないことが前提!)
さやは、10歳後半。抽象思考も顕著に表れるようになり、何かと主張するようになりました。
「私はこう思う」「私だったらこうする、こうしたい」ということを、
家庭の中でも、自由に話せる環境ができているなあと感じ、嬉しく思います。
あたりまえですが、子どもって、「自分」を主張したがっているんですね~。
そして、主張することで、周りがどう反応するかを見ているようにも思います。
私たちは、鏡の役割をしてるのかもね。
(ますます、周りの対応の仕方が重要ってことですね~^^;)
そうやって、自分の価値観を確認したり、修正したりして自分を形成していくのかもしれませんね。
私は、子どもにはどんどん主張させてあげたいと思います。
どうせ否定されるから言わない。
言いたいけど、自信がない。
そもそも考えてない。考えることができない。(これこそ問題だけど・・・)
もし、そうだとしたらとっても残念。
全ての子が、積極的に主張できるわけではないし、
『心の声(内心)』もとても大事。
でもでも、できるだけ、「自分」を出す環境を整えてあげたいものですね。
Smile^^。